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★函館の空は澄み切って空気がおいしい!! 町もロシア文化の影響もあり、又、煉瓦づくりの西欧建築の香りもある。それは、安政元年、幕府は日米和親条約を締結調印し、下田、箱館(函館)の二港を開き、鎖国から開国へと大きく方向転換をしたことによる。それにより箱館(現在の函館)は、西洋文明をいち早く我が国に導入するという重要な使命を担った。函館は函館山のふもとに北東斜面にグリッド・パターンで区画された近代の条里制である。 |
★函館山から見る眺望は、巴港(現函館港)、大森浜の両面からゆるやかな曲線に描かれた美しい光景となり人々を魅了する。元町の旧函館区公会堂は、元箱館奉行所が設置さ れた一帯で、ここから海岸通りまで直通の広い坂道が建設された。これが基坂である。奉行役所は、明治になって開拓使支庁に、その後北海道庁の支庁として常に函館経営の要として機能した。海岸通りから見るとアイ・ストップに位置する旧函館区公会堂を中心軸とする基坂は、この町の中心軸であり、両側には、諸役所、各国領事館や官舎が建てられた。 |
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★函館の建築の特色は、エキゾチックな異国情緒を醸し出す宗教建築である。二十間坂と大三坂の間にあるロシア正教のビザンチン様式であるハリストス正教会、カトリックのゴシック様式の天主公教会やフランスから派遣された八人の修道女によって創立されたトラピスチヌ修道院等がある。 次に、和洋折衷様式の民家の存在がある。西部地区一帯に点在する民家に多くその姿を見ることができる。 |
★開港都市として欧米の建築意匠や技術が流入し、そこに、鰊、昆布などの北洋漁業や造船で莫大な富を築いた市民の財力がこれを受け入れ開花したものであろう。代表的な建物は、太刀川邸、ヴォーリズの設計の遺愛女子中、高等学院の講堂、その他、町を歩くと多くの和洋折衷建築に出会う。それらの外観の特徴は、1階がしっかりとした和風様式で、出格子窓に化粧垂木のある下屋庇、入り口は引違戸となっているが2階は、下見板張りの外装に竪型の上げ下げ窓又は両開き窓をシンメトリーに配し、屋根は寄せ棟トタン葺きとする。さらに1、2階の接合部に胴蛇腹、2階軒先には軒蛇腹を設け意匠を引き締めている。 |
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