・嵯峨野は、古くから詩人や歌人に愛され、文学の舞台として数多く登場する。「源氏物語」や「平家物語」を初め、「古今集」や「新古今集」にもしばしば詠われている。平安時代には皇室関係の別荘が次々と建てられ、鷹狩りや桂川での舟遊びなどの遊興を楽しんだ。
嵯峨野の西北に位置する鳥居本地区は、小倉百人一首ゆかりの小倉山と、五山送り火の「鳥居形」がともる蔓陀羅山の山あいを通る一筋の道・愛宕街道沿いにある。江戸中期、愛宕詣の門前町賑わい、江戸時代末期から明治、大正にかけてこの愛宕街道沿いには、農家、町家のほかに、茶店なども建ち並ぶようになった。嵯峨鳥居本のまちなみは、愛宕街道に沿って化野念仏寺を境にして、愛宕神社一之鳥居に近い上地区には、藁葺き屋根の農家風の民家が多く、茅葺き屋根の下には、町屋の千本格子や、太い米屋格子が見られる。駒寄せはなく、柱に鉄のかんが取り付けられている。一之鳥居のそばには、大きな茅葺き民家がある。 |
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この地区に点在する茅葺き民家の典型で、古くから鮎茶屋として知られている。明治初期の建築で、間口7間、奥行き3、5間の主屋を中心に、のちに背後部に4室の座敷を増築している。外観は片入母屋造かや葺き屋根で、遠望すると、入母屋の破風と一之鳥居、そして背後の緑が相互に引き立てあって、集落全体のアイ・ストップともなり独特の美しい景観を形成している。・下地区は、落柿舎から祇王寺にかけて、化野念仏寺に至る景観で、桟瓦葺きの屋根に虫龍窓、千本格子、駒寄せのある町家が続く、一般に町家は、間口が狭く、奥行きの長い短冊型の敷地割りが多いが、この地区の町家は、間口が広く、主屋と平行して、土蔵や庭を囲む門、塀が見られ、見越の緑が通りから眺望でき、まちなみに変化とうるおいを与えている。 |