平家落人の集落  祖谷

          祖谷のかずら橋 祖谷のかずら橋
  • 所在地 徳島県三好市東祖谷山村及び西祖谷山村 
     
    交 通  予讃線、大歩危駅よりタクシー         
      徳島自動車道・井川池田 IC より40㎞

     

           斜面につづら折りの道 西岡家
            斜面につづら折りの道があり民家が点在します        西岡家 (歴史民俗資料館)
           重要文化財木村家 
             重要文化財木村家                祖谷地方最古の民家といわれる「木村家」
          奥祖谷二重かずら橋   清流の大歩危・小歩危
            奥祖谷二重かずら橋                  清流の大歩危・小歩危 渓谷

    まちの生い立ちと町なみの特徴

  • 日本を代表する秘境の一つ徳島県祖谷(いや)地方は、四国山脈の中央部に位置し、険しい斜面につづら折りの道を造り、山肌に民家が散見する山村です。中でも東祖谷山村は、平家の落人伝説でも有名であり、村内には、自然の中に点在する数々の史跡や山間部の武士や庶民の暮らしぶりを伝える江戸時代の家が現存します。
       寿永4( 1185 )年、屋島の戦いに敗れた平国盛は安徳天皇を奉じ、百名を超える軍勢とともに戦線を離脱、志度から陸路を逃れ、阿讃山脈を越えて吉野川を渡り、祖谷山に入ったと伝えられています。逃走ルートは足代山分の中屋集落から美濃田の渕、井内谷から祖谷に至ると考えられ、落人の足跡と見られる史跡や遺物(貴船神社、安徳天皇縁の安王神社、鞍掛石、平家の軍旗など)が残っています。落人らは地福寺(持福寺)に逗留し、ここで傷を癒すと共に、戦死した国盛の父、教盛の法要を行い、多くの戦死者の霊を弔いました。
    昭和33年になって地福寺に保存されている平家の赤旗が発見され、さらに、これと同様の赤旗は阿佐家にも所蔵されています。
    祖谷地方最古の民家といわれる「木村家」と山村農家の典型「小采(こうね)家」は国の重要文化財に指定され。平家屋敷と呼ばれています。阿佐家住宅は、現在も阿佐家当主が住んでおり、内部を見ることばできません。西岡家の祖先は安徳帝の御典医として宮中に仕えていたが平家と共にこの地に来て、深山を散策し薬草を採取し医業を施しました。
  • この地には、奇橋として名高い「祖谷のかずら橋」があります。年間数十万人が訪れる観光名所ですが実は、もっと奥地に素朴なかずら橋があります。それは奥祖谷二重かずら橋です、「祖谷のかずら橋」からさらに山道を車で40分かかる秘境にあります。二重かずら橋の由来となっている長さ40mの男橋と同20mの女橋が仲良く並んでいます。
    かずら橋は、祖谷地方独特のつり橋であり、山に自生するツル状の植物、シラクチカズラで作ります。作り方は直径8㎝ほどに育ったツルを刈り取り、火であぶって柔らかくします。それを編んで橋にします。そもそも、かずら橋は、祖谷に移り住んだ平家が、生活域を広げるとともに追っ手の侵入を防ぐために作ったという説があります。追っ手が近くにきた時に、すぐに橋を壊せるようカズラを使ったというのです。橋を歩いてみると、足を踏み出す度にゆらゆらと揺れます。足場となる横木の間隔が結構広いので気をつけないと足がはまりそうになります。17m下を流れる祖谷川やごつごつした岩が目に入り、足がすくみ思わず欄干にしがみ付きます。しかし、困ったことに欄干もー緒に揺れます。渓谷に架かる橋梁までも自然素材づくしで造ってしまう昔の人々の知恵と努力に敬服します。

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