島崎藤村ゆかりの宿場町 妻籠宿

        妻籠のスケッチ画:向井梅逸
  • 交 通 JR・中央西線、南木曽駅よりバス7分 
    車・中央道中津川インターから25分
    所在地 長野県木曽郡南木曽町妻龍 
     
    妻籠宿の写真1   妻籠宿の写真2   
    妻籠宿の写真3   妻籠宿の写真4
    妻籠宿の写真5   町営奥谷郷土館

     まちの生い立ちと特徴 

  • 妻籠宿は、中山道木曽11宿の1つで、美濃から、木曽路に入って2つ目の宿です。妻籠の本陣は、代々島崎氏が勤めていました。島崎藤村は、南隣りの宿場町、馬籠の島崎家で生まれ、母の里である妻籠の島崎家へも馬籠峠を越え8キロの道をいく度も通ったことでしょう。“木曽路は、すべて山の中である”で始まる小説「夜明け前」は、この地が舞台のものがたりです。
    妻籠宿は、江戸から数えて42番目の宿場で、宿場の全長は2町30間(270m)で京側より 上、中、下の三町があり、これに門前町(現在の寺下町)がありました。現在は南北にそれぞれ増設され、700mになっています。上町と中町の境には、桝形が設けられ光徳寺と、和知野神社があります。
    ・妻籠が今日のように全国に認知される契機は、昭和39年の妻籠小学校P・T・A、による民俗資料収集活動です。 翌年には宿場資料保存会が設立されました。町が林家住宅を借り上げ町営奥谷郷土館を開設し収集された宿場資料を分類、展示、保存するようになりました。昭和40年に東大、太田博太郎教授による妻籠宿調査が実施され、学術的価値が裏付けされました。
    昭和46年には、この頃から観光客が増え始め、これに対処するために保存優先の原則を確立しました。住民大会が開かれ「妻籠を守る住民憲章」が宣言されました。具体的には「売らない。貸さない。壊さない」の三原則を宣言し、全国まちなみ保存の先駆者と称されるにふさわしいキーワードとして各地に強い影響を与えました。現在も妻籠には、団体向けの宿泊、食事の施設はなく看板も規制しています。
    昭和48年8月の国の文化財保護法改正に際しては、南木曽町独自の「妻籠宿保存条令」が基礎となり‘まちなみ’を文化財と位置付けました。これにより、まちなみ保存のシナリオができたのです。
    これからも“妻籠”は“まちなみ”保存のリーダーとして、活躍されることが期待されております。

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